シングルマザーになったワケ [iccaのこと]
ワタクシ、iccaはシングルマザーです。
母子家庭とか、シングルマザーとか、響きはともかくとして、世間体はかなり悪いものです。
これについては、自分を卑下するつもりもありませんし、胸を張って生きています!とか偉そうに語るつもりもありません。
ただ私は、気負いもなく自然体で生きています。
結婚していた頃よりも、生活には困っていませんし、子どもと二人で気楽に生きてます。
児童扶養手当もいただいていません。
税金だってちゃんと払ってます。
子どもの名前や学校を変えることもしませんでした。
それでも、世間では偏見の目で見られます。
住む街によって、ひとり親家庭が受ける恩恵には差がありますが、世間一般では一緒くたに語られてしまうのが事実です。
働きたいのに、健康上の理由で働けないひと
働きたいのに、仕事が見つからないひと
働きたいけど、仕事を選り好みしているから仕事が見つからないひと
働けるけど、児童扶養手当が貰えるようにパート程度しか働かないひと
働きたくないから、働かずに他人から(元夫含む)援助を受けた上に児童扶養手当を頂戴しているひと
などなど、数え上げたらキリがありません。
ですが、結婚も、出産も、離婚も、誰かに強制されるわけでもなし、自分で決めたことでしょ、って。
それはそうなんですけどね、私は離婚には口頭で同意はしたものの、離婚届は自筆で書いていません。
届出が出されたのも、役所からの通知で知りました。
それでも、家裁に申し立てもせず、離婚に際して1円のお金を貰わずに家を追い出された私をバカだと散々罵り、訴訟を起こすように騒ぎ立てたのは、実の親兄弟でした。
離婚した翌月には正社員の仕事を見つけ、子どものためになりふり構わず働きはじめました。
なぜ、養育費も慰謝料も、財産分与もせずに家をでたのか・・・
権利を主張し、同居を続けていたら、私は今 この世に存在していなかったと思います。
この世から消えることを強要され、殺気立った気配に身の危険を感じるようになっていました。
子どもの親権と養育費くらいは、ちゃんと話し合ってから離婚届を書きたかった。
ですが、悠長に構えている時間がなかった。
というのが、私がシングルマザーになった経緯です。
子どもが生まれてからというもの、生活費も渡されず自立するために働きたいと言ったら、猛反対し所在確認のために1日に何十回と鳴る携帯の電話やメール。
短時間のパートを渋々承諾してはくれたものの、仕事中に「今すぐ帰って来い」の電話。
そのうち、パート先や古い友人にまで、私を貶めるようなメールや電話をし、外界との繋がりを断ち、家にいることを強要するようなひとでした。
もともとがストーカー気質だったのでしょうが、結婚前には見抜けませんでした。
これに関しては自業自得です。
それでも離婚を思いとどまっていたのは、子どものため・・・と本気で思っていたからです。
これまでは、「子どもには申し訳ないことをした」 と、後ろめたい気持ちがありましたが、今までの生活をよくよく振り返ってみると、このさき両親が揃っていることのほうが、子どもにとっての弊害が大きかっただろうと思います。
子どもが大人になった時、奥さんに同じようなことをしてしまうのではないか、という不安もありました。
まだ結婚していた頃、生活費の足しになればいいな・・・という気軽な気持ちで始めたアフィリエイト。
1円も稼げない月が続くことも多々ありましたが、生活に困ってはいましたが、パート勤めの収入があったので、僅かなアフィリエイト収入でも 「こんなものかな?」 と思っていました。
ちなみに、生活に困っていたのは私だけです。
元夫のほうは相当な資産を持っていましたから、頭の悪い私が成功するはずがない・・・とも思っていました。
成功する人は、冷酷非道なほんの一部の人だけだと思っていました。
元夫を通して出会った人たちは、みんなお金持ちだったけれど、人としてどうかな?という人が多かったからです。
その頃に、アフィリエイトの基本を教えてくれた恩人に出会いました。
人と人が繋がることの素晴らしさや、自分を信じることの大切さを教えてくれました。
自分を卑下する必要はない。
シングルマザーということに、何も恥じることはないのだと・・・
世の中、悪い人ばかりじゃないということを知りました。
「人は信用できないもの」 という刷り込みができてしまっていたのですね。
だから私は、もう一度初めからアフィリエイトに取り組みたいと思います。
恩人に胸を張って 「夢を叶えることができました!」
と、言えるように~
母子家庭とか、シングルマザーとか、響きはともかくとして、世間体はかなり悪いものです。
これについては、自分を卑下するつもりもありませんし、胸を張って生きています!とか偉そうに語るつもりもありません。
ただ私は、気負いもなく自然体で生きています。
結婚していた頃よりも、生活には困っていませんし、子どもと二人で気楽に生きてます。
児童扶養手当もいただいていません。
税金だってちゃんと払ってます。
子どもの名前や学校を変えることもしませんでした。
それでも、世間では偏見の目で見られます。
住む街によって、ひとり親家庭が受ける恩恵には差がありますが、世間一般では一緒くたに語られてしまうのが事実です。
働きたいのに、健康上の理由で働けないひと
働きたいのに、仕事が見つからないひと
働きたいけど、仕事を選り好みしているから仕事が見つからないひと
働けるけど、児童扶養手当が貰えるようにパート程度しか働かないひと
働きたくないから、働かずに他人から(元夫含む)援助を受けた上に児童扶養手当を頂戴しているひと
などなど、数え上げたらキリがありません。
ですが、結婚も、出産も、離婚も、誰かに強制されるわけでもなし、自分で決めたことでしょ、って。
それはそうなんですけどね、私は離婚には口頭で同意はしたものの、離婚届は自筆で書いていません。
届出が出されたのも、役所からの通知で知りました。
それでも、家裁に申し立てもせず、離婚に際して1円のお金を貰わずに家を追い出された私をバカだと散々罵り、訴訟を起こすように騒ぎ立てたのは、実の親兄弟でした。
離婚した翌月には正社員の仕事を見つけ、子どものためになりふり構わず働きはじめました。
なぜ、養育費も慰謝料も、財産分与もせずに家をでたのか・・・
権利を主張し、同居を続けていたら、私は今 この世に存在していなかったと思います。
この世から消えることを強要され、殺気立った気配に身の危険を感じるようになっていました。
子どもの親権と養育費くらいは、ちゃんと話し合ってから離婚届を書きたかった。
ですが、悠長に構えている時間がなかった。
というのが、私がシングルマザーになった経緯です。
子どもが生まれてからというもの、生活費も渡されず自立するために働きたいと言ったら、猛反対し所在確認のために1日に何十回と鳴る携帯の電話やメール。
短時間のパートを渋々承諾してはくれたものの、仕事中に「今すぐ帰って来い」の電話。
そのうち、パート先や古い友人にまで、私を貶めるようなメールや電話をし、外界との繋がりを断ち、家にいることを強要するようなひとでした。
もともとがストーカー気質だったのでしょうが、結婚前には見抜けませんでした。
これに関しては自業自得です。
それでも離婚を思いとどまっていたのは、子どものため・・・と本気で思っていたからです。
これまでは、「子どもには申し訳ないことをした」 と、後ろめたい気持ちがありましたが、今までの生活をよくよく振り返ってみると、このさき両親が揃っていることのほうが、子どもにとっての弊害が大きかっただろうと思います。
子どもが大人になった時、奥さんに同じようなことをしてしまうのではないか、という不安もありました。
まだ結婚していた頃、生活費の足しになればいいな・・・という気軽な気持ちで始めたアフィリエイト。
1円も稼げない月が続くことも多々ありましたが、生活に困ってはいましたが、パート勤めの収入があったので、僅かなアフィリエイト収入でも 「こんなものかな?」 と思っていました。
ちなみに、生活に困っていたのは私だけです。
元夫のほうは相当な資産を持っていましたから、頭の悪い私が成功するはずがない・・・とも思っていました。
成功する人は、冷酷非道なほんの一部の人だけだと思っていました。
元夫を通して出会った人たちは、みんなお金持ちだったけれど、人としてどうかな?という人が多かったからです。
その頃に、アフィリエイトの基本を教えてくれた恩人に出会いました。
人と人が繋がることの素晴らしさや、自分を信じることの大切さを教えてくれました。
自分を卑下する必要はない。
シングルマザーということに、何も恥じることはないのだと・・・
世の中、悪い人ばかりじゃないということを知りました。
「人は信用できないもの」 という刷り込みができてしまっていたのですね。
だから私は、もう一度初めからアフィリエイトに取り組みたいと思います。
恩人に胸を張って 「夢を叶えることができました!」
と、言えるように~